So-net無料ブログ作成
検索選択

No.9

校長は今、東京にいます。このHPは、何となく、昨年11月からほぼ一年休止していました。一通り書きたいことは書き尽くした気がして、意欲が衰えていたのでしょう。実りの秋を迎えて、また新たに更新していきたいと思います。

「目からウロコ」シリーズの四冊目、「詩篇で祈る」の原稿がほぼ完成しています。10月の終わり頃に出版社に持ち込もうと思っています。出版される見込みはかなり高いと楽観しています。そして、これは教会の教えや教義との関係を心配する必要がないので、作業に入ることができれば、出来上がりは早いでしょう。2月中というのが、私の取らぬ狸の皮算用です。

いろいろなコーナーがありますが、多すぎるので、一度整理しようと思います。「読書コーナー」や「学校の研究」は読者のためというより、私自身の心覚えのためのものでした。更新の材料もあまりないので、近いうちに一度削除します。

そして、「祈る人の世界」というコーナーを新設します。これは昨年、福岡教区の教区報に連載したものです。実は、しばらく新しい記事を書く余裕がありません。それで、これを手直しして載せることによって、時間を稼ごうというわけです。玄人好みの渋い内容なので、福岡では絶賛を博したとは言えませんが、私自身としては好きな記事です。現物があるので、すぐにでもアップします。

もう一つ、そのうち全くの遊びで新設してみたいのは、「生活技術」コーナーです。私は何事もハウツーが好きで、読書法とか片付け術とか、いろいろ研究しました。その中から自分に役に立った技術を紹介しようと思います。今ある「学校の研究」コーナーと似ていますが、あれは無理やり「祈りの学校」と関連づけていました。その言い訳をはずしてしまって、遊び全開で、私の蓄積を公開します。似たタイプの人には役に立つかもしれません。

こう休止期間が長いと、以前の読者はもういなくなっているかもしれませんね。たまたま、このサイトを見つけた皆さん、また立ち寄ってください。

2004年10月4日
来住英俊(祈りの学校・校長)


No.8

宗像は秋らしい美しい日が続いています。皆さんはお元気ですか。祈りの学校には何も事件がないので、ずっとトピックスも書くことがありませんでした。

ようやく、祈りの学校出版の第三弾、『目からウロコ ゆるしの秘跡』が出版されました。定価は800円で、表紙の色は青です。三冊とも買って並べるときれいですよ。

自分で読んでみると、前の二冊よりも流れがゴツゴツしています。第三章「ゆるしの秘跡は何を与えてくれるのか」は、入れるか入れないか、だいぶ迷いました。ない方が流れがすっきりしそうです。でも、続編や中級編を出せる見込みがあるわけではないから、ここで書いておかなければもう機会はないかも知れません。ぜひ聞いてほしいことなので、組み込むことに決めました。第三章を飛ばして読んで、後でこの部分だけ読んでくださってもいいと思います。

このHPの模様替えを考えています。三冊揃ったので、それぞれのコーナーを設けて、本には書ききれなかったことを、少しずつ書き込んでいくというアイデアです。全部集めると、それぞれのテーマの中級編になるというわけです。

例えば、ゆるしの秘跡の歴史です。これはとても面白いのですが、ページ数をあまり増やしたくないのと、全体の流れを阻害する恐れがあるので、この本には書きませんでした。ロザリオなら、なぜ10月7日が「ロザリオの聖母」の記念日なのか、というような話です。また、少数の人しか興味を持たないだろうと思って、書かなかったこともあります。ロシアの作家、ドストエフスキーの小説における「罪と罰」の思想などです。

そして、下手に取り扱うと危ないので、避けた問題があります。例えば、「大罪と小罪」の区別です。自分なりの考えはあるし、それを正しいと思ってもいますが、誤解されないためには慎重に、予想される反論にあらかじめ答えながら書いていかなければなりません。それにはHPが適していそうです。

次は『詩編』か『識別』です。待降節には黙想の家で講座を開こうと思っています。テーマは「識別」になるでしょう。

2003年10月9日
来住英俊(校長兼受付)


No.7

御復活、おめでとうございます。という挨拶は遅すぎますが、私は3月12日から新しい修練期を始めました。修練者は三人です。そして、約一ヶ月の修業の後、黙想の家で黙想者や近所の方と共に聖なる過越の三日間を祝いました。
黙想の家の特権で、聖金曜日の典礼を午後の3時に行い、復活徹夜祭を深夜に祝うことができます。そうすると、主の受難の典礼が終わってから御復活を祝うまでが十分に長く、主が墓の中におられる偉大なる聖土曜日を心ゆくまで味わうことができました。まことに、主は三日の後に復活された!! アレルヤ、アレルヤ。

徹夜祭は旧約の朗読を全部、つまり七つ読み、答唱詩編も全部歌います。今年は2時間半かかりました。でも、これくらいやると典礼の力を感じます。つまり、「過ぎ越したぞ」という体の実感があります。祈りの学校が教えるのは、主に個人でする祈りですが、典礼は人間を体ごと運んで行くような力があります。もちろん、朗読や歌の練習には時間をかけました。
短く簡潔な典礼は、退屈しないと喜ばれるかもしれませんが、それでは力はありません。退屈しないことが目的みたいになると、本末転倒です。典礼の生命は長さにあると言ってもいいくらいです。しかし、これを力説したところで、「暇な人だからできるのしょう。わたしたちは忙しいのです」と言われて、お仕舞いになるかな。実際、修道者は「これが商売」ですから。

『目からウロコ:ゆるしの秘跡』の原稿は完成しました。草稿をHPに少しずつ載せていくという方法はいいと思ったのですが、うまく行きませんでした。結局、このところ、捻り鉢巻きで書き続けて完成させました。HPの更新がめっきり少なくなったのはそのためです。

話が案外に早く進んで、女子パウロ会が出版してくれることになりました。そうなると、HPに全文を載せるわけにもいかないので、第4章の式次第順の解説だけを載せておくことにします。

2003年5月8日
来住英俊


No.6

校長なのだから生徒諸君に新年の挨拶をしなければと思っていたのに、すっかり時候後れになってしまいました。今年もよろしくお願いします。この頃、世の中が味気なくなりました。昨年から楽しみに見ていた連続ドラマは筋立てが思いつきになってきてつまらない。満天と陽平が結婚するのはあまりにも唐突ではないでしょうか!好感の持てた若い女優も脚本が悪くなると演技のワンパターンが目立ってくる。期待していた文芸評論家の新著を買ったら罵詈雑言にすぎない代物だった。世の中のことは味気なくなるばかりです。でも、その方が修道者らしくていいのかもしれません。祈りの学校に精出すしかないようです。

さて、祈りの学校出版の第三弾「ゆるしの秘跡」はまだ本格的に着手できていません。何度も講座を開いた科目ですから内容はすでに頭の中にあります。ただ、書くためのまとまった時間がなかなか取れないのです。しかし、四旬節もアッという間に来るし、世の迷えるカトリック信者たちはこの本を待っているのではないかという気もするので、下書きをこのホームページに載せていこうと思います。少しずつでも発表していく方が私としてもやる気が出そうです。

「ゆるしの秘跡」のコーナーを新設します。ただし、順序はあっちへ行ったりこっちへ来たりで、ばらばらになるでしょう。すでに講義で充分に話した部分はいつでも書けるので、まだあまりこなれていない問題を予行演習として書くつもりです。これだけでは全貌は分からないとは思いますが、具体的な疑問を持っている人には役に立つかも知れません。また、ゆるしの秘跡に関する質問や信徒の感想を待っています。

司祭仲間でこのホームページを見ている人があるでしょうか。もしいたら、「ゆるしの秘跡」に関する意見をお寄せください。司祭の共同研究の必要な分野です。

2003年1月30日
来住英俊(校長兼主任教授)


No.5

四年に一度の準管区会議の運営委員の仕事がやっと終わりました。実際に使った時間はそれほど多くはないのだけれど、いつもどこか頭に小さな黒雲のように浮かんでいて、本来の仕事の足を引っ張っていました。このホームページも更新頻度が下がっていましたが、また精を出そうと思います。

会議のあと、すぐに上京して、レクチオ・ディヴィナを定期的にしている二つのグループと出会いました。私が東京にいた頃に始めたものが続いているのですが、半年に一回くらい様子を見にいくことにしているのです。順調に行っているようで嬉しかった。しかし、メンバーの中には家庭の事情などがあって参加できなくなる人もそろそろ出て来ています。これは当然起こることです。放っておくといつか自然消滅になるでしょう。新しいメンバーを入れて、ずっと活動が続いていくことを私は望んでいます。慣れ親しんだメンバーが変わることは、グループの人たちには新しい霊的チャレンジです。それを通して祈りも深まっていくことを期待しています。

宗像の黙想の家に戻って、待降節の一泊二日の黙想会を指導しました。「黙想会」といえば、講話があって、ミサがあって、朝晩の祈りがあって、その合間に個人指導とゆるしの秘跡があるというのが、これまでの一般的な形式です。しかし、一泊二日の短い時間にこれをすべて詰め込むと、どうしても中途半端な感じになるような気がしています。何を中心にするかということを明確にした方が参加者にも便利ではないかと思っています。そして、ネーミングでそれを示して募集する。「祈りの学校」、「カテキズムの学校」、「共に祈る会」、「個人面談の黙想会」などを考えています。

たとえば、今回は待降節の重要なテーマである「主の再臨」についてのカテケーシス的な話を中心にしました。しかし、黙想会という名称で募集している以上は、あまり知的な努力を必要としない、聞いているだけ心に染み込んで来るような、味わい深い説教を期待する人もいるだろうと思う。すると、気の強くない私はどうも思い切って「教える」という姿勢を取れないのですね。「カテキズムの学校」として募集すれば、それを期待する方が悪いと開き直れるわけです。「共に祈る会」というのは、祈りの学校で教えた方法をすでに知っていることを前提にして、一泊二日を一緒にどんどん祈るという集会です。

というわけで、したいことはいろいろあります。しかし、実際にできることは本当に少ない。でも、できることからやっていきましょう。

2002年12月10日
来住英俊


No.4

前のトピックスは盛夏でしたが、もう秋になりました。そろそろ何か書かなければ、格好がつきません。

私は今、なかなか忙しくて、教室の開催どころか、HPの更新もままなりません。なぜか忙しいかというと、御受難修道会の準管区会議(四年に一回)がもうすぐ開かれます。私は準備委員の一人なのです。私は淡々とした日々が好きで、会議とか祝宴が苦手です。修練長と祈りの学校だけをやっていられれば、幸せな生活なのですが、そうはいかないようです。しかし、こういう苦労も人並みにしなければ、修道生活も祈りの学校も深まらないのだろうと思いながら努力しています。「あまり苦労はしたくないが、人並みの苦労はしよう」というのが、私の合い言葉です。

というわけなので、当分の間はHPを更新するとしても「校長のメモ」を書くことが多くなるでしょう。ちゃんと書こうとすると引用した本をもう一度確かめたりしなくてはなりませんが、メモなら頭にあることだけで書けるからです。

気持ちの余裕ができたら、質問コーナーに力を入れたいと思います。質問をお寄せください。このコーナーに掲載されている質問はインターネットで来たものばかりではありません。それはむしろ少数で、多くは、私が黙想会などで受けた質問、あるいは質問はされなかったが、「そうか、こういうことが分からない人が多いのだな」と感じ取ったことなのです。それも、種切れ気味になってきました。すぐには的確に応えられないこともあると思います。しかし、そういう質問に答えようとすることで、私自身も新たに考えをめぐらすことができ、祈りの学校の内容が進歩します。よろしく、お願いします。

12月7日(土)―8日(日)に、ここ福岡黙想の家で待降節の黙想会を開きます。校長の顔を見たい方は来て下さい。講話だけでなく、一緒に祈ることを大事にしたいと思います。特に、ロザリオですね。ここからリンクしている黙想の家のHPに情報があります。

2002年10月22日
来住英俊


No.3

修道会の仕事以外には修練院を留守にしない方針ですが、七月のはじめに三日間上京しました。聖書の祈り(レクチオ・ディヴィナ)のグループをフォローするためです。私が東京にいた時に始まったものを参加者が自主的に続けていたのです。メンバーの一人が司会して、私はそれをチェックしました。いくらかの指摘はしましたが、趣旨をはずさずにきちんと運営されていました。とても喜ばしいことでした。

『目からウロコ とりなしの祈り』は7月16日無事に出版されました。『ロザリオ再入門』と同じ装幀で色を変えてあります。赤とグリーンで、並べると美しく映えるようになっているので、ぜひ二冊を揃えてください。書店でも並べて置いてほしいのですが、新刊と旧刊ですからそうはなっていません。ちょっと残念です。なお、校正漏れを一つ発見しました。43頁の小見出しが「意向を意識化する」となっていますが、本当は「意向を個別化する」です。よく見たつもりなのですが、残念!個別化というのはけっこう強調したかったことなのです。

次の出版は『ゆるしの秘跡』を計画しています。ロザリオやとりなしと違って、教会の公の秩序にふれるので、慎重に原稿を整理しなければなりません。一年くらいかかるでしょう。

宗像も真夏です。私は子供の頃から夏に弱くて半分死んでいましたが、五十になった今は若い時分より夏に強くなりました。修道生活の修行のおかげですね。皆さんも元気でお過ごしください。

                               2002年7月24日  来住英俊


No.2

皆さん、お元気ですか。ここは宗像市です。御受難会の「福岡黙想の家」に私は暮らしています。鹿児島線赤間駅に近い住宅街の端にありますが、緑が豊かでとてもいい場所です。特に、森の間を抜けていく野外の十字架の道行はここの自慢です。修練院と「祈りの学校」は黙想の家に同居しているのです。

 さて、祈りの学校の本領はもちろんライブの連続講座にありますが、前回お伝えしたように、修練院と志願院に私の力を集中する必要があるので、当分の間は開催できそうにありません。つまり、「祈りの学校」はインターネット上だけに存在するのです。ヴァーチャル・リアリティですね。

 そこで、このホームページだけでも模様替えすることにしました。柱である「Q and A」の他に、「校長のメモ」、「学校の研究」、「読書」、「講義要綱」などのコーナーを新設しました。各コーナーの趣旨はそれぞれの第一回に書いてあります。「なんじゃ、これは?」と思われると困るので、そこから読んで下さい。直接に祈りに役に立ちそうなのは「Q and A」だけですが、私の考え方に興味を持ってくださるなら他のコーナーも覗いてください。

 なお、祈りの学校はインターネット上だけではなく、出版物の形でも存在します。「目からウロコ:とりなしの祈り」がやっとのことで、7月16日、カルメルの聖母の祝日に出版されます。当学校に興味を持って下さる方は、こういう本が出たということを友人方に吹聴して下さいませんか。ロザリオの本はテーマだけである程度の数は売れるものでしたが、今度はそうはいかないかもしれません。買って読んでいただきたいのはもちろんですが、意義のある本だと思われたら、さらに口コミにご協力をお願いします。これが売れないと次の出版(ゆるしの秘跡)が難しくなるという事情もあります。(2002.7.8)


No.1

皆さん、お元気ですか。前にお知らせしましたように、私は3月に福岡県宗像市に移転しました。「祈りの学校はあそこにある、ここにあるというものではない。校長のいるところに祈りの学校もある」ので、学校も移転したわけです。

修練院と志願者グループのプログラムを立ち上げるのに精力を使い果たして、このホ-ムページも2ヶ月半のあいだ更新できませんでした。やっと落ち着きましたので、これからQ and A のコーナーをしっかり更新してきたいと思っています。修練院スケジュールの合間をぬって、土日に泊まりがけで祈りの学校を開きたいと思っていましたが、修練院と志願者の仕事は予想以上にハードです。しばらくは開講できそうにありません。祈りの学校の実態は、当分の間、このホームページだけになります。前より更新の頻度をあげるつもりなので、時々のぞいてください。

 校長雑感もまた書きます。これは、私が祈りの学校を運営するためにいろいろ考えたこと、特にハウツー講座はいかにあるべきかの考察です。読んでも祈りのための実益はありません。ただ、舞台裏の苦心に興味を持ってくださる人に見ていただきたいと思っています。

 なお、「とりなしの祈り」の本がそろそろ出せそうです。ロザリオの本と同じ装幀で色違いです。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。